知らない人と話すことが好きだ。
ふらっと一人で入ったバーで、よく知らないお姉さんやオジサンと話すことが好きだ。
その場所にいること以外、全く前提がない状態で手探りしながら人間関係を構築していく事が楽しい。
若干の緊張感を漂わせながら、お酒でちょっと和やかにした空間で「天気の話」や「好きな食べ物」なんかの、本当にどうでもいい話をしつつコミュニケーションする。どこかで思わぬ共通項が見つかって、会話がスパークする瞬間もたまらなく楽しい。
ときに、いつも過ごす友人たちよりも分かりあえたような気さえする。
僕は「ノリ」や「決まった流れ」などに則って話すことが苦手だ。
サークルの飲み会みたいな、果てしなく謎の文脈が支配する場で、特に面白くはないけど文脈に乗るのが得意という人が騒いでるのを見ると、ドン引きしてしまう。
多分、誰も意図的にそうしていないし、ただ雰囲気があるだけなんだろうなとは思うけど、未だにちょっと抵抗がある。
「この人達はしょうもないんだから話さなくたって良い」と鼓舞する気持ちと、しょうもない人たちとすら上手にコミュニケーションが取れないなと自嘲する気分とのギャップに、虚しさを抱いた回数は数え切れない。
この本を読んでからは少し楽になった。
「第2章 全ての会社は「部族」である 【人間関係】」で、特段意識せずとも、コミュニティを部族として捉えて、そこにいる人達へ敬意を払う、という人間関係ハックが僕には楽で、心地よかった。
もし同じような気持ちでコミュニティに居心地の悪さを感じている人が、少しでも楽になればと思って紹介する。
飲み屋の話に戻すと、数年前、池袋のとあるバーに行った。
ドラマなんかで見るバーのアダルティックな雰囲気に憧れ「僕もバーという所にいけば、あわよくば…」と非常に邪な気持ちで、意気揚々と扉を開いた。
意気揚々と、は盛りすぎていて、ハチャメチャに緊張したので隣の飲み屋で三杯ほどビールをかっこんでから恐る恐る扉を開いた。
その向こうにはアダルティックな雰囲気はあった。あったが、ちょっと行き過ぎていて、こう、有り体に言ってしまえばオッサン4:オバサン1の、ベリーアダルトバーだった。
話題も、自分の病気や保険の話で、僕にはパーフェクトに理解できない。
震える声でモスコミュールを注文しつつ「ああ、やっぱり大学のサークルで、よく分からない居酒屋の銘柄がわからない日本酒を、全く敬意を抱いていない先輩に対して注いでいるべきだったんだ…。」と後悔の念でいっぱいになっていた。
それから数十分後、僕はオジサンが話す尿管結石のカテーテルの話でゲラゲラ笑うことになり、若干飲みすぎたくらいの酩酊具合でふらふらと自宅に帰っていった。
お酒の力は偉大で、話の強力な潤滑油になってくれる。もしこのブログを読んだ人で、ノリだけの飲み会に嫌気が差しているならどこかの飲み屋に単身で突貫してみれば、と思う。